圧倒的に走ってく

基本的には行ってきたライブのこと。たまにCDと本と諸々の話。

余白を知る

余白@浅草ゴールドサウンズ。
浅草という趣のある土地。
「行って良かった!」と確実に言えるライブでした。

浅草駅から真っ直ぐに行くとバンダイの本社ビル。
そこを更に真っ直ぐ行くとガソリンスタンドがあるので、そこを右折。
その先にあるのがゴールドサウンズ、と公式サイトにあったので、これなら迷いようはないな、と思って浅草に行ったものの。

真っ直ぐ行くと確かにバンダイの本社ビルがあった。入口で出迎えるたまごっちが大人ぐらいのサイズだったので「あんたそんなサイズだったんかい」とか思いながら通り過ぎ、
しかしいくら行ってもガソリンスタンドが無いので、曲がりそこねた。

……さすがに自分の方向音痴を嘆きたくなったが、周囲を探した結果、
なんとガソリンスタンドが改装中だったことが発覚。

とんでもないご時勢になったもんだと思いつつ、ガソリンスタンドらしき場所を目印に、なんとか到着。

少し不思議な気分になりながら、老舗感漂う看板の前に並ぶ。どう見ても常連さんしか居ない。
階段を降りていくだけで妙に緊張感がある。

階段を降りた先、今日の出演者が書いてある看板…手書き感と勢いが凄い。

全員ほぼ初見の状態。不言色に行ってなければたぶんこの場には居なかっただろうな…と思うと感謝しかない。

入口を抜けるとまた階段。結構急なのと、距離を取らないといけないのとで中々に手間取る。
降りた先で、ビニール越しに検温と消毒と受付。もう慣れたけど少し憂いはある。

入口の先の入口2を抜けるとアクリルに覆われたフロアが見えた。
照明で青くなっていて、中は窺い知れない。曇りガラスかと錯覚した。
バーカウンターでドリンクを交換して、アクリルの中へ。
こういう事態だからこうなっているのか、あるいは元々こうなのかは分からないが、なんとなく鑑賞されている側の気分になる。

そこまで広くないフロアなのにディスタンスドーン!とされているとめちゃくちゃ広く感じる。
3列目ぐらいまではどこから見ても最前。そんな感じだった。
インスピレーションで席を選んで、開演を待つ。
なんとなく場違い感もあるのだが、いや最初から常連のヤツはいねえ!と言い聞かせつつ、開演時間。

秋元リョーヘイ

奥から長身の男性がやって来た。
まったくの初見……微妙な緊張感の中、第一声。

「――溶接工という仕事をこなし、勤務外でミュージシャンやってます!小さな町の工場長、秋元リョーヘイです!よろしくお願いします!!」

いや、今なんつった!?
短い自己紹介に情報量が多い。
溶接工、兼ミュージシャン。確かに他を探してもあまり居ないであろう取り合わせ。
しかも工場長…見たとこ20代ぐらいに見えるのだが、その歳で工場長。それは凄い…と驚くばかり。
とてもよく動く方で、特筆すべきはその足の角度。
この辺り実際見ないと説明しづらいところなのだが、足がすごく直角。
本当に直角。直角のまま振り上げている。なんとなく製図の時に使う定規を思い出す。

自らの事を化け物じみていると云う歌と、化け物と呼ばれたいという歌。
泥臭さと、カッコ良さ。
なんだこの生き様は…と心を掴まれる。

搔き鳴らされるギターと共に、叫ばれていく言葉の数々。
こういう時勢じゃなければ一緒に叫んでいたかもしれない。
ライブの面白さ。それを体現しながら、秋元リョーヘイは去っていった。

成田あより

続いてやって来たのは、成田あより。
あよりさんを見るのは二度目。不言色で見た時に感じた、不安定さと、力強さ。それがまた見られるのか楽しみだった。

青い照明に照らされて、小柄なその姿が妙に輝いて見えた。
前に聴いた時にも思ったが、言葉が繊細で、時には力強く、人を惹きつける力を感じる。
このメンバーの中で萎縮しているのか、たどたどしく喋る姿とのギャップが、殊更に魅力的に映らせる。
口数少ななMCの中に、その人となりが垣間見える。

……あより劇場。
不言色で知ったその異名を、なんとなく思い出す。
おっそろしく憑依型だ。この方は。

人懐こそうな笑顔の中に、底知れない闇を感じてしまうようなその歌詞と、
その闇の中からぶわっと光が溢れていくような歌声。
例えるなら、底なし沼。

そんな感じがした。

吉川亮毅

続いてやって来たのはTシャツの男性。
今回の主催、久保琴音とデュオを組んでいたこともあるという吉川亮毅。
この方もまるっきりの初見…予習もしていないからどんな歌声なのか予測もつかない。
第一声。
癖が無くて聞きやすい歌声と、癖たっぷりの歌詞が印象的だった。

本人、そんなに小さいわけでは無いのだが、ギターがとても大きく見える。
パフォーマンスとかじゃなくて落っことして壊してしまいそうな感じ。

暑苦しくない熱さ。
妙な危うさと、真っ直ぐさ。
知り合いでもないけど呼び捨てにしたくなるような親近感。
それが同居しているようなMCと立ち振る舞い。
そのパフォーマンスを見ているとどうも叫びたくなる、が、今のご時勢なのでやめる。本日二度目。
拍手はその分大きくした。届いていると良いのだが。

久保琴音

最後の転換が終わり、ギターを携えた久保琴音がやって来る。
今回の主催者。浅草なんて無謀だ!と思いつつも来ようと思った理由の方。

ここで、この独特なライブタイトル、「余白」の意味が語られる。
ここに呼んだ三人は、「余白」がある人だと思っている。
秋元リョーヘイには、伸びていくような「余白」。
成田あよりは、表裏が無いように見えて、この中で一番「余白」のある人。
そして、吉川亮毅には「余白」が無い。
……いきなり矛盾があるようだけど、「余白が無いこと」が「余白」。
そして、今ステージに立っている私の「余白」は……皆さまで考えて下さい。

余白が無いことが余白(とは)……。
余白について考えていると、曲が始まる。
青い照明、青い服、青い歌詞。
跳ねるギターの音。
頭の中で雨粒がはねる。
『はねるはねる』……前に聴いてからよくリピートしている曲だ。
英語訛りが入ったような日本語が耳に残る。

続いていく曲をいくつ聴いても、色々な色が見えて、捉えどころがない印象。
これが「余白」なんだろうか。

そんな中、次の曲は、『To Freddie』。
不言色でも聴いた、この曲。
琴音さんは自分の性別に少し疑問を持っていて、
男かと言われたらそうではなく、では女か?と問われてもよく分からない。
そして「クエスチョニング」……性別にとらわれない、という性別に辿り着いた。
少し前なら、そんなことは言えなかった。
少し前なら、言った時点で色々と蔑まれたに違いない。
礎を築いた人が居るから、この疑問も、はっきりと口に出せる。

「不思議に思う人も居るでしょうけど、」
「でも、性別が分からないってことは、カッコ良くも可愛くもなれるってことだと思っていて」

だから、礎を作った人の一人、フレディ・マーキュリーに向けた曲を。
認めて欲しいとか、そういう話ではない。
ただ、それを特別に思わないで欲しい。

格好いい、と素直に思った。
曲終わりに見せた笑顔は可愛らしくもあった。

気が付くとライブは終わっていて、手にはそのCDがあった。
物販に本人も居たのだが、あまりに放心状態で何を話したかはあまり覚えていない。

「余白」、という意味では、「余白が大きすぎる」としか言えない。
格好良くも、可愛くもなれる。
まだ咀嚼しきれていないぐらい、その音楽と言葉が、ずしりと突き刺さったまま。

町工場の工場長兼アーティスト。裏表が無いように思えるけど考えの余白が多いアーティスト。危うくも、熱いアーティスト。格好良くて、可愛いアーティスト。
相反するものを内に共存させている人たちのライブ。
またどこかでこの四人を見たいな…と強く思って、帰路についた。

……帰り道?言うまでもないでしょうよ(迷った)