圧倒的に走ってく

基本的には行ってきたライブのこと。たまにCDと本と諸々の話。

不言色に盲目に

目に色を~不言色~@下北沢MOSAiC

四者四色の空間が楽しかったということと、それからの話。
曲には触れたり触れなかったり。
各々のMCにはほとんど触れていません。



2020年9月8日。
どうなっているか分からないと思っていた一ヶ月。
どうにか無事に過ごせた。
長かったような短かったような…とりあえずすこぶる健康である。

意気揚々と向かう先は下北沢MOSAiC。
実は初めて行く場所で、どんな場所なのか非常に楽しみだった。
なんなら下北も久々かもしれない。
結果:たどり着くまでに結構迷った
……この一ヶ月で方向音痴悪化してないか、とセルフ突っ込みしつつ、開場時間。
もうお馴染みとなった消毒と体温測定と連絡先記入。
……お馴染み、というのもどうかと思うが。

ドリンクカウンターがお洒落で、コラボドリンクなどもあった。
『手のひらの雨』
『毎日が煌めく』
『海とレモン』
と、曲名をもじったものと、ハッシュタグで見かけたもの、
ん、『サメの血液』……なにやらおどろおどろしいネーミングのドリンクがある。

ドリンク選びもそこそこに、地下へと向かう。
階段の狭さがなんとなくワクワク感を誘う。
降りきったところで、視界が開けた。
天井がめちゃくちゃ高い。
地下一階がなくて、地下二階を地下一階として使っているらしい。
壁が白くてステージが高めだ。これならスタンディングでも結構快適に見られそうである。
とはいっても今回は着席ライブ。席数少なすぎるな…キャパシティの半分無いんじゃなかろうか。
見やすいは見やすいが、少し寂しい。

今回驚いたのは客層。
対バンライブに行くと「あの人はあの人のファンっぽいな」というのがなんとなく分かるのだが、今回はまったく分からなかった。
一見バラバラな人々が同じステージを見ている。
対象が四人いるというのもありそうだが、面白い現象だと思った。

客層を観察していると、いつの間にか開演時間。

みねこ美根

大抵のライブでは、タイムテーブルが公開されていない限りは誰がどの順番かは分からない構成になっている。
しかし、今回は最初に誰が来るかすぐ分かってしまった。
キーボードとギターが並べて置いてある二刀流ステージ。
こんな独特な構成をするのは今回のメンバーなら一人しかいない。

みねこ美根さんを見るのは二回目。
どことなく昭和レトロを感じる曲調と、一度聞いたら忘れられない独特な歌声を持つシンガーで、去年の終わりごろ、ツイッターのアカウントを不意にフォローされたことから知った。
……一体どこ経由でこの辺境のアカウントに辿り着いたかは分からないが、そういう経緯もあってライブに足を運ぶことを決めたのだから、不思議な縁である。

独特の世界を纏った人で、曲を聴いているとその世界観に呑まれそうになる。
MCも独特で、聞いていてくすっと笑ってしまう場面もあった。

アーカイブを残さないスタイルを貫いているらしいので、ここにはこれ以上書き記さないことにする。
とりあえず、すいかポンポンは伝統らしい。

久保琴音

キーボードが片付けられてやって来たのは、黒い服に身を包んだ、ひょろりとした風貌の方。
長く伸びた影みたいな人だな…というのが第一印象。
ギターを携えて、椅子に座る。
座って歌うスタイル…初見だというのは抜きにしても、新鮮に思えた。

新潟出身だという久保琴音さんは、お盆の時、帰郷して墓参りに行くのが毎年の恒例にしているのだが、
今年は諸々の事情で帰れなかったとのこと。
帰郷できなかった想いを詰め込んだようなその曲は、鋭く耳に残った。

雨に打たれたり、闇に飛び込んだり。
第一印象と同じで、影を感じる曲が多い。

そんななか次に歌われたのは、『To Freddie』という曲。
タイトルから分かるように、フレディ・マーキュリーに捧げた曲だという。
言うまでもない功績を多く遺した、
葛藤と、自由と、何より自分自身と見つめ合ったひとだ。

その人に、捧げる歌。

どちらを、好きなのか?どちらも好きになれるのか?あるいは、どちらも愛せないのか?
認めて欲しいとか、自由になりたいというわけではない。
性別という概念に一度でも疑問を持ったことがあるなら、いや、疑問を持ったことが無くてもだ。
胸にガツンと響くその言葉に、楔を打たれたようになり、放心する。
そのまま去っていく久保琴音の姿を、ただ見つめていることしかできなかった。

成田あより

ぼーっとステージの中央を見つめていると、今度はとても小柄な女性が現れた。
初見の人ではあったが、演者だということは纏う空気から分かる。
今まで誰ファンか分からなかった方々の空気が少し変わる。
……もしかしてファンの比率が少し多いのだろうか。
まだ転換と換気の時間だ…立ち位置のチェックだろうか?

などと思っていると、普通に歌い出した。

「!?」と思ったのは自分だけでは無かったようで、会場全体に謎の空気が流れた。
マイクチェック……と言うには長い。二曲分まるまる歌いきって、「まだ時間じゃない」と引っ込んでいくその姿に、更にキョトンとした空気が流れる。
リハーサルに突入してしまったような妙な気まずさ。
その二曲だけでも分かる、やたらと可愛らしい声と、強い声の使い分け。
戸惑いながらも期待は高まる。
後方から「あより劇場……」なんて声が聞こえた。
劇場……劇場なのか。なるほど。

換気も終わり、本当の成田あより劇場の開演。
可愛らしい声、掠れたような声、力強い声…声色の種類がとても多い。
曲によって本人の色が変わってしまう。なるほど……劇場型だ。
個人的に特に印象に残ったのは『線香花火が落ちるまで』という曲。
音楽を止めた大切な友人に向けて作ったというその曲は、とてつもなく強暴だった。

『そんなもんだったのかよ お前の夢ってやつはさ』
『そんなもんだったのかよ お前の意思ってやつは』

何故音楽を止めてしまうのか。
何故歌うことを止めてしまうのか。
咎めるつもりは無い。しかしどうしてという気持ちは消えない。

誰と言われたわけではないが、その「誰か」の姿さえ思い浮かぶような歌。
感情を塊でぶつけられると、動けなくなる。
拍手することも忘れて、見つめ続けてしまった。

……なるほど、コアなファンが多いはずだ。

サメとうふ

あより劇場が終演し、もう最後の一人。
いや、今回は”一人”ではない。スリーピースバンド編成だ。

いきなりの朗読。
それは想定外だった。
ポエトリーリーディング、というこの手法。いきなり不言色の世界に引きずり込まれる。
不言色=言わぬ色とは、梔子色を口無色と捉えての言葉遊びのような色だ。
その色を冠したライブ。

言えぬ想いというものは、どんな人にも存在するもの。
いや、中には全部言ってしまう人もいるのかもしれないが、その可能性には今は蓋をしておく。
言えぬ想いを抱えて、人は生きている。
だから、ここで受けた感情を全て言葉にしなくてもいい……
……多分言葉にしてしまうな、全てではないけども。

次の曲、『月並』は、最初どの曲か思い出せなくてモヤモヤした。
アレンジが違い過ぎる。スリーピースだとこんな感じになるのか。

続いては格好いい曲と歌のない曲。
ギラギラのサウンドと、心地いい響きとが印象的だった。しかし聞き覚えが無い。あとで調べたら新曲だったらしい。そりゃ聞き覚えないはずだ。

流れるように続いたのは、『幻想』。
ビリビリした音が空気を一変させる。

『終わりを目の前に 美しさを見出されるこの世界に終わりを』

サビで叫ばれるこの言葉には実感のようなものがこもっていて、とても迫力があった。
散り際に美しさを見出す文化。
それ自体は悪いことでは無いが、現役のうちに出来ることは無かったのか…と考えてしまう。
解散したり、筆を折ったり、死んでしまってから「応援していたのに残念です」と言ってもその人にはもう届かない。
そんなことが多い昨今だからこそ、考えさせられてしまう。

会場が赤くなり、赤にまつわる曲二曲。
『君のくれた花束』は、やはり赤い。
というより公式見解らしい。赤い花束……どの花なのかによってだいぶ印象が変わることになる。
感謝か、愛情か、それとも……などと思いを巡らせるのは楽しい。

本日最後の曲は、『林檎』。
東京の姿を描いた曲。下北沢という、東京の良い所も悪い所もいっしょくたにしたような場所だからこそ、響く曲。

『東京の色や特別な出来事に踊らされるようじゃいけない』

なんでも東京中心に動くあれこれを考えると、このフレーズは重く響く。

白い服を翻してお辞儀をして、アンコールもなく終わっていく。
しかし、終わることがあれば、始まることもある。
目に色を三部作の三つ目のタイトルがここで発表された。
『常盤色』、『不言色』ときて、最後は、『瑠璃色』。
深く鮮やかな青色……今までと比べると有名な色だ。いや、深縹色とか言われても反応に困るが。
会場からは拍手が上がっていた。

『瑠璃色』はどんな色になるのか、三部作の終わりはどうなるのか。
ちゃんとその場で見届けたいところだ。