圧倒的に走ってく

基本的には行ってきたライブのこと。たまにCDと本と諸々の話。

常盤色に恋して

目に色を~常盤色~@横浜O-SITE。

やっぱりライブって良いなあと思ったことと、ちょっと悔しく思ったことの記録。
確実に言えるのは、「それでも行って良かった」ということ。

2020年8月7日。
世間の風当たりはどんどん強くなる中、ライブ現場に行ってきた。

横浜駅から、商店通りを抜け、歩道橋を渡って、数秒。
どう見てもデパートの3階。
ちょっとおっかなびっくりしながらエスカレーターで上へ。
昭和のシアターに迷い込んだかと思うような看板と、ポスターの山。
すごいな…と思っているうちに整列時間。
整理番号の書かれたテープの位置に整列し、一人ずつ会場へ。
マスク下のライブは9回目。
(2/21, 2/24, 2/25, 2/28, 3/2, 3/10, 7/18, 7/30,8/7)
……改めて数えると結構行ってる気がする。
2月3月とは事情が違うのは確かにしても、今回の横浜O-SITEが一番対策はガチガチだったように思う。
手指消毒、体温測定、ソーシャルディスタンスはもちろんのこと、来れない人の為の配信設備、本名と連絡先の確認、靴裏消毒まで徹底していた。
ここまでしなくちゃいけないのか……分かってはいたけど身が引き締まる。

入場するとまず青い床が目についた。続いてはグランドピアノ。重厚な雰囲気がする。
数人で座るシアター席と、椅子席が25席ぐらい。
空いている席に座り、いよいよ開演時間。

アーカイブ試聴で補完した箇所もありますが、あえて抜かしている箇所もあります。

まきちゃんぐ

照明が暗くなり、ピアノの元にやって来たのは、ショートカットの女性。
…今回全員ショートカットの女性だよ!
という訳で、照明のせいか席の遠さのせいか日々の疲れのせいか一瞬誰が来たか分からなかったことをここで反省しておく。
まきちゃんぐさんをみるのは2回目。
センターダブルピアノという、どの席からでも手元が見えるという贅沢なライブ以来。
今回は手元こそ見えないものの、隙間があるのでどこの席からでも見やすい。これはソーシャルディスタンスで良かったところか。
一曲目の『ハニー』の伸びやかな声で心を掴まれて、その力強さにやられる。
『ハニー』って愛する人とかそんな意味だから必ずしも男性から女性に向けての言葉じゃないんだよな……と頷きつつ、二曲目。
献身的な女性の姿。そんなに自分を責めなくても…と思うような歌詞を歌い上げるかすれ声。
そんな印象のまま、三曲目、『煙』。
『貴方はアタシを弱くする』
『アタシは弱い 弱い 弱い……』
どうしてこの人の曲は自分を削るような歌が多いのだろう、と思いつつ、MC。

もうあと二曲しかない、という発言には「ええ~!?」と言いたかったが、大声を出せる空間ではなかった。小さく反応する。
お酒があまり飲めないというまきちゃんぐさんは、飲みの席で注文する時に毎回少々萎縮するそうで、これから歌う歌は、萎縮しなくて良いようにちょっと気持ちを変えられたら、と作った歌なんだそう。

その曲名は『ジンジャエールで乾杯』。

ちょうど最前列の方がジンジャエールを飲んでいたらしく、ちょっといじられていたのが印象的だった。「運命だね」運命……運命なあ。
曲名の可愛らしさもさることながら、曲自体も可愛い曲だった。
一曲目の時も思った伸びやかな声。ピアノの音も楽しそうで、聴いていて楽しくなる。
拍手の音と合いの手。これは生ライブならでは。
気分が高揚してきたところで、またもMC。

お客さんを入れてのライブは久々というまきちゃんぐさん。
なんなら同時配信というのもほとんどやっていないんだそうで、カメラに向かってはしゃいでいらっしゃいました。
来る前に休むことも考えたけれど、やっぱり来て良かったと。
景気付けに地下の松屋で一杯キメてきたそう。
やっぱりO-SITEのピアノが好きだと言う姿には積み重ねた歴史のようなものを思い浮かべた。

次の曲で最後だ、と言いつつ、正義と悪の話を……なんという。今の時世で色々考えた結果の曲だという『シャドウ』は、タイトル通りの黒さを感じる曲で、たった一曲前とのギャップに震えた。
あなたの正義を問う、のような歌詞は多々あれど、
『神様のシナリオ通りに人生が進むとして、それを茶番劇、だとは笑えない』
と切り捨てるように言われると、ガツンと頭を叩かれたような気分になった。
さっきの曲と同じ人が歌っているとは思えないその曲に釘付けになり、一瞬拍手をするのを忘れた。遅れて拍手すると、笑顔が見えた。
最前列だったらやられていたかもしれない。
お辞儀して帰って行く時に、なにか……分からないが何かしていたように見えたのは見間違いだろうか。
最前列の運命の人だったら見えたのだろうか。それとも見間違いか、あれは。アーカイブで見てみようかしら。

※2020/08/12 追記

見間違いでした。
しかしそんな勘違いもライブらしさか。
そして曲順めちゃくちゃだったんで多少加筆しました。
曲単位で記憶するのは得意な方だけど、どこでMC入ったとかは忘れがちだとあらためて気づくアーカイブ試聴。

TOMOO

続いて登場したのはTOMOO。
ミニアルバム一つだけ聴いたことがあるという状態で、ライブは初見。
アーティスト名は本名だそうで、初見の本人の印象は、名前に感じた印象と同じだった。
「少しの違和感と、納得」。
顔と声が一致しない。清廉さと妖艶さ。ねっとりしていて爽やか。
色々な顔を持っているひとで、曲によって印象がまったく違う。
恨み節のように聞こえたり、問題提起に聞こえたり、可愛らしい恋の歌だったりと、曲の幅が広い。
特に、途中で語りが入る曲の雰囲気が好きだったけど、曲名が分からないのがもどかしい。

※後で調べたら『風に立つ』という曲でした

お客さんの前で歌うのは5ヶ月ぶりだと話すTOMOOさん。
さっきまきちゃんぐさんも似たようなこと言っていたけど、この時世というのは様々な場所に影響を与えているんだな、と改めて思った。

そんなTOMOOさんが次に歌ったのは、『恋する10秒』。
どこかに置き忘れていた青春を思い起こすような曲調で、とても眩しい。
『10秒、20秒』の跳ねるような節回しが耳に残って仕方がない。
これは音源が欲しいな……と思っていたら今度この曲が入ったミニアルバムが出るらしい。
……まったく、商売上手だぜ……(?)

架空の青春の話から、現実的な話へ。
歌えない間様々なことを考えたという話から、TOMOOさんがたどり着いた結論は
「音楽はとべる」
ということなんだそうで。
音楽は羽になる、私も、聴く人も、音楽で飛べる……なるほどと思うと同時に、一瞬とべるがどの漢字のとべるか分からなかったのは内緒である。

『いってらっしゃい』の言葉にガツンとやられて、お辞儀をする姿にやられて、少し声を上げたくなった。……が、耐えた。大きめの拍手で見送る。
マスク下のライブではリアクションは少し大袈裟なぐらいでちょうど良い気がする。

サメとうふ

トリをつとめるのは、今回の主催者でもあるサメとうふ。
去年Twitterで知って以来、なんだかんだで三回目のライブ。
……まだ三回目なのか。色々な方の感想を見ていたから色々と錯覚していたらしい。
ふわふわした雰囲気をまとった登場と、一音目の鋭さのギャップ。
言葉が刺さって抜けなくなる、その一曲目。
覚悟のようなものを感じて、息を呑んだ。
二曲目は『水槽』。
柔らかく、揺蕩うような歌い方。
「ここなら泣いてもいい」
「ゆらゆら 心臓や脳がなければ」
「傷つくこともなく美しく見せられたのだろう」
歌詞から想像される繊細さと、青い空間。
やっぱりこの曲が好きだな、と強く思った。

一音ずつ、一言ずつを大事にするように喋るサメとうふさんからは、少し不安のようなものを感じ取った。
お客さんをじっと見据えて語りかける姿には、真摯な姿勢が見える。
声がどこまでも優しい。
『玻璃』ではそれが顕著で、声を張り上げるところが少しゾワリとした。

ここで、カバー曲のコーナーに。
スリーマンならではの試み。対バン相手の曲をカバーするらしい。
まきちゃんぐさんの曲、『あなたはモルヒネ』は、依存的な歌詞がサメとうふさんの優しい声で歌われると狂気が増す…というのが正しいかは分からない。説明が難しい。
少し狂気めいたものを感じた、ぐらいにした方がしっくりくるかもしれない。
続いてはTOMOOさんの曲である『ネリネ』。
一枚だけ持っていたミニアルバムに入っていた曲だ。
苦しそうに歌う曲だという印象が、さらに苦しそうに思えた。水中でもがいているような印象を受けた。
歌詞の中でしきりに気にするネリネ花言葉は後から調べて、この場所と時世によく合っている選曲だったと知って、余計に身にしみることとなった。

カバー曲コーナーが終わり、続いては、サメとうふさんが完全に自分の為だけに書いたという曲、
『君がくれた花束』。
自分の為に、と言いつつ、エゴは感じない歌詞。
聴いていてなんとなく赤色の花が浮かぶのは何故だろう。歌詞の中では花の色を指定するような言葉はないはずだが。
改めて聴き直してみると、『気持ちが赤く染まる』という歌詞はあった。でもそれがなくても圧倒的に赤色だ。理由は分からない。
浸っているうちに、MCに。

「今、目の前に、神様が居るとしたら」
「私は、この場に居る人が無事に帰れることをお願いしたいです」

……なかなかトリッキーなMCだ。

見てくれた人への感謝と優しさ。大きめに頷いていると、最後の曲です、との宣言が。
「『よくある朝』、という曲を歌って、終わろうと思います」
今その曲はマズい……!と思ったが、無情にも曲が始まる。

悲しさを歌うミュージシャンが、次の朝、死んでしまった。
あのミュージシャンもこのミュージシャンも、いつ死んでしまうか分からない。
それこそ、目の前で歌っているミュージシャンでさえも。
それでも「死にたい」と呟いてしまうのはどうしてだろう。
独特な死生観を語る、単調なリズムが心を捕らえる。
淡々と状況を説明し、さあ、どうします?と問うような歌だ。
短い歌なので、ぐるぐると考えているうちに終わってしまう。

お辞儀をした頭を上げて、もう一度お辞儀をするサメとうふさんの姿に、最大の拍手を送る。
会場が明るくなって、一瞬キョトンとした空気が流れた。
アンコールは…?
たぶん、ない…?
とは思いつつも、パラパラと拍手が上がる。

サメとうふさんがやって来る。

「アンコールありがとうございます。ですが……今日は、アンコール、歌いません」
「9月に、来ていただけたら……!」

そう、この常盤色は目に色を三部作の一作目。
三つの公演を通しで見ることで、構成が分かる仕組み。
なるほど、と思いつつ、そうなると見据えるのは、二色目。
来て欲しい、けど強くは言えない。
そんな空気を感じ取って、少し気が沈んだ。
行くつもりではあるが、このご時世。
9月にどうなっているかはここの誰にも分からない。
それこそ、途中のトリッキーなMCに出てきた神様でもない限り。

そもそもの話、こういう時世にならなければ、センターピアノでの公演だと知らされていた。
今の時点でもかなり胸に来た公演だから、センターピアノでどこからでも最前列、の構成だったら、と考えると、とても悔しい。
そしてその次の日、横浜O-SITEが閉店することを知らされた。
初めて行ったばかりだが「また来よう」としっかり思えていたのに。
まるっきり『よくある朝』じゃないか…と思うと余計に寂しくなる。
どうします?と問われても、結局は自己判断するしかない。

今この文章は、必要時以外は外出しない自主隔離のもと書いている。
アーカイブも買ったので、二週間存分に聴き入ることにする。
優しさは確かに受け取りました。また安心して会えるようになることを楽しみにして、しっかり無事でいようと思う。


こちらは物販で買った小説「常磐色」。
例に漏れず三部作らしい。これは…読むしかない。