圧倒的に走ってく

基本的には行ってきたライブのこと。たまにCDと本と諸々の話。

僕は魔法使いなんかじゃない(アイスクリームフィーバーのたぶん怒られそうな感想)

アイスクリームフィーバーのBlu-rayが届いた。
個人的に色々思う事があったので、確認や諸々も込めて、限定版を買った…のは良かったものの。

限定ブックレットって写真集なんやね!?

見て早々、ツッコミを入れてしまった。

確かに美しい映像を切り取った写真集は綺麗で、なんなら映画自体も洗練された写真集みたいな感じだったので、写真集になるのは必然といえば必然なんだけども。

作中の台詞に思いを巡らせていた身としては、台本ノートのような物を期待していただけに少々拍子抜けだった。
…公式に、暗に映像の美しさのみを楽しむ事を推奨されたような気もするが、それはそれ、これはこれ。

曲解説で少し触れたのも含めると、この作品に対しては感想を3回書いている(※1回はただの野次)のだが、その時はまだ劇場公開中という事もあって内容にはそこまで踏み込んでいなかった。
roukawohashiruna.hatenablog.com
roukawohashiruna.hatenablog.com
roukawohashiruna.hatenablog.com
というわけで、これを期にもう一歩踏み込んで、もしかしたら怒られそうな感想を書いていく事とする。
(※完全にネタバレしています)

キラッキラの恋愛映画

予告からキービジュアルから、なんなら丸ごとこの映画の告知だったアイスクリームの日の時から、キラッキラの恋愛物である事を強調する造りとなっていたこの映画。謎の男性が喋っている所が少し映され、菜摘と佐保がキスする寸前で時間が巻き戻り、物語が始まっていく。
普段恋愛物の映画は観ない上に、なんなら主題歌目当てで観に行ってる私ですら、(これは恋愛映画なんだな…)と明確に分かる構成(冒頭の『これは、映画ではない。』という文言は無視しつつ)。

進んでいくと、2パートに分かれていく物語。
菜摘と佐保の恋愛映画のAパート、優と美和が父探しをするBパート。
なるほど、この2つの話を軸に、話が重なったりするんだな…?
そんな感じで観ていくと、ある疑問にぶち当たる。

…誰の恋愛映画?

いや、恋愛映画は確かにそうなんだと思う。
思うけれども…
具体的に言うと、主人公の菜摘がなんとなく男性的な雰囲気を強く持っているので、どちらかと言うと男女の恋愛の雰囲気が漂っているな…というのが最初の感想だった。
いや、恋愛映画をほぼ見ない人が言ってもあまり説得力はないと思うが。
とにかく、そんな印象を受けたのだ。
菜摘と佐保、というか吉岡里帆とモトーラ世理奈、という前提を取り去ってしまうと、
(元)デザイナーでクリエイティブな心を持ったアイスクリーム屋と、詩的で意味深な言葉を紡ぐ作家の恋愛物語。
アイスクリーム屋は作中に出てくる監督…というか この映画の監督本人から影響を受けており、作家が最後に書いた小説は、原作の『アイスクリーム熱』を彷彿とさせる小説になっている。

…つまりこの物語は、突き詰めると監督と原作者の恋あ…

結局の所、

なんだか一気に現実に戻されてしまった感があるが、思想などがあれば見えてしまうのは当たり前で、作家性というか、それが無いと面白みも無くなってしまう事も多い。
ただ、作中にも監督がカメオ出演していたり、エンドロールで監督が目立っていたり、なんならタイトルにした曲のフレーズだって元は監督の言葉だというから妙に気になってしまうだけで。
そうじゃなきゃ作者の素性なんて気にしないし、気に掛ける事もない。

少し中身の監督が見えかけている所を除けば、確かに恋愛映画、なんならBパートに限って言えばAパートより恋愛…というより、しっかりとした関係性が描かれている。
Aパートは菜摘と佐保もそうだけども、どちらかと言うと菜摘と貴子の方が感情が強く見える気がする。
恋愛、というよりは、様々な女性の様々な関係性を魅せるように映している、と言った方がこの映画にはしっくり来る気がする。
そんな思いを持ったままエンドロールを最後まで見ると、虚無に襲われる事になった。

余韻ぶっ壊し…いや、この物語自体が虚無…?
好意的に見ようとしても、この映画を全否定しかねないモヤモヤ。

この辺りはぼやかして書いていたのだが、公式が「繋がっている」事を明言したので、はっきり書いてしまおう。

すべての話が終わりかけた頃、菜摘はある男性と出会う。
その名ははっとり…演じる中谷。
中谷は冒頭で佐保らしき人と電話で話していた人で、終盤で突然アイスクリーム屋にやって来て、佐保が書いた新作の文庫本を菜摘に見せつけながら、原作のアイスクリーム熱を彷彿とさせる立ち振舞いをする。菜摘は中谷の様子を見てぼーっとしている…
という所で場面が切り替わり、貴子がアイスクリーム屋を去り、菜摘が中谷の部屋を見上げ、中谷が部屋にあった佐保の痕跡を消して、物語は終わっていく。

これってつまり…と思ったものの、中谷が佐保の知り合いだったから、菜摘は中谷の事を見つめている…という線も残されていたので、あまり深入りしなかったのだが。
しかし、繋がっている、と明言された以上、解釈は明確に一つになる。

このアイスクリームフィーバーという話は、原作のアイスクリーム熱の前日譚であり、菜摘は夏が来る度に別の人に恋をするのだと。

…そうなると、このアイスクリームフィーバーと言う物語自体、一夏で淡く消えていくものなのか…?

と思わなくもない結末…
何も残らない、一瞬で溶けるアイスクリームのような儚さ、夕立のような物語だというのか…

もちろんそういう話も好きだし、すぐ消えてしまう儚いものを永遠と言うなんてロマンチックだとも思う。
しかし、だけど、うーむ…

しかし、残るものもある

さて、ここまでAパートの事ばかり話していたが、この話にはBパートというものがある。
松任谷由実の『静かなまぼろし』という曲を元にした、生き別れの姉と確執がある優と、妙に哲学的な事を言う姪の美和が時にぶつかったりしながらも、本当の幸せとは何か?を考えていくようなお話。
ツッコミどころはありすぎるものの、それを上回るぐらいの感情の動きがあり、最終的には温かい気分が残る。

Bパートの事も含めると、キービジュアルやCMなどで流されていたシーンより、劇場ポスターの方がしっくり来るし、なんならもっとBパートの方で宣伝した方が良かったのでは…?と思ってしまう。
とはいえ、そこで振り落としておかないと今より賛否両論になっていた気もするので、これが良かったのだろうとも思う。

二人の儚い恋と、もう一方の二人の、永遠の幸せ。

ただ、Bパートがどれだけ綺麗でも、Aパートの終わり方がモヤモヤしていた事は変わらない。
とはいえ、このモヤモヤが無ければ、「癖の強い、でも考えさせられる映画だったな…」で終わったに違いない。
ここまで良くも悪くも印象に残っているのは、この結末だったから。

…またじっくり見返そう。